これは去年(2003年)の暮れ、腎盂炎が治ったと思ったら膵臓にヤバイものがある
そう言われたときのことを書いています。
エコー検査をしても「再検査」とデカく赤字で書かれちゃって
さしもの私も、かなりに気分はダウナーになりました。
普通は数日後に結果を聞きに行ったりするものらしいのに「そのまま待て」だし
正直いって溜息ばっかりでましたわ。。。
一応、キツイことを宣告されてもいいように
すでに心は下準備ができておりました・・・・のつもり。
しばらく待ってから私の名前が呼ばれ、診察室へはいります。
ええと、結果ですけどね。。。
担当医師が話しはじめた、ちょうどそのとき内線電話が鳴りました。
なにやら切羽詰まったようすの声が聞こえます。
「あ、ちょっと緊急だっていうんで待っててください」
そそくさと出かける医師(救急病院でもあるので、そういう事態も起こるのです)
診察室には、私と……またしてもカルテ
さっきの検査での技師の所見部分が開いたままだ。
なんかスゲーアバウトだよな、と思いつつチラチラ&おそるおそる覗いてみます。
むむ……?
レバーのエッジがどうの
キドニーがどうの(肉屋みたいですね、私の肉だけど)あらこれ英語ですわ
アラ、読めるやんけ
そのときの私は舞い上がってますアンド緊張してますんで
カルテをざっとみて、字として読めても内容が頭に入ってこないんですね。
ええい、もう書き写しちゃうもんね〜
どうせ自分の身体だ、本人がカルテみて文句はないだろう
もうおおっぴらに自分のノートもひろげて書き写してみます。
看護士さんも通りすぎますが、何も言わないし
知らない単語もあるけど、わかんないスペルのままうつし
最後の結論まできたところで先生が戻ってきました。
私がメモしてるの、先生ももちろん気がついてました。
あの〜、素人がみても……いいみたいですね(勝手に見てゴメンナサイの意)
「そうそう、almost normalだって、良かったね〜」
え?なんの話?
almost normal……指さされた結論のところにはそう書いてありました。
ほとんど正常ってこと。。。
「いやぁ膵臓ってこわいからねぇ〜、心配したよ〜」
なんか先日とうってかわって、先生ったらニコニコほ・が・ら・かなんだ
そうか、前は事務的で冷たい(感じ悪い)センセだなと思ってたけど
それだけヤバくて深刻かもな状況だったわけなのね。
なんだ、いい先生じゃーーん
念のために年明けてまたCTを撮るといわれつつも
はぁ〜
どうも、私にも来年はあるらしい・・・
ひょ〜(脱力した音)
家に帰ってわからない単語も調べました
「malignancy(悪性腫瘍)の疑い」 ←ガクガクブルブル
意味をあとになってから知って、良かったかも
とはいえ、前のデータが誤診という訳ではないので
しばらくおいて年明けしてから再度CTを撮りました。
ちなみにそのときは「40秒息を止めてもらいますよ」ってオーダーがでました。
ひ、ひぇ〜、潜水ですか?
というわけにもいかないので酸素マスクが出されます。
わ〜い、酸素マスクなんて初めてだ〜(すっかりイベント気分が戻る)
例によって造影剤を打って、30〜40秒の息止めを3回くらい。
そ〜れほど長くは感じない40秒です。(人によりますね)
せっかくだからその合間には、ここぞとばかりに酸素を吸ってみました。
でもあんまり効果って・・よくわかんなかったです。。。
(なのにそのぶんなのか前回より検査代が高いのよ、ブツブツ)
膵臓君の腫れはほとんど消失、リンパの腫れも小さくなった
ーーーということで「ま、大丈夫でしょう」となりました!!
あ〜んなに痛かったのは膵臓の腫れもあったせいらしく
「よく我慢しましたねぇ」ってちょっと感心されてしまいました。
(膵炎って「も・の・すっっごく痛い」というのが定説です)
へへへ、痛がり&麻酔が効かない私ですが、ちょっと自慢だぜ〜
ということで無事生還したのですが
少しだけ後遺症が残っちゃいました。
それは・・・視力の激オチ。
激オチどころか一時は視界がまっしろけ〜近くなってまして
実のところ、道を歩いていても歩道の継ぎ目がわからないほどでした。
私はこれからこの視界で生きていくのか!ってショックは大きかったです。
でもダ〜ラダラと過ごすうちに徐々に回復。
去年の視力まではでないとはいえ、
もう「見える」ということが嬉しくてしょうがないの。
そうだ、せっかく見えるようになったんだ、デジカメで写真撮りたいな!
という経緯で4月にデジカメを買ってね、こうしてブログが始まったの。
まだ生きてていいんだって、とてもうれしいこと
ええ、オオゲサで馬鹿みたいでしょうけど、1日が1年が無事にあることってありがたい
その気持はたいてい忘れてますが、たまにこうして思い出します。
みなさんも良い年をお迎えくださいね