10月6日、APPLEの偉大なアイコン・S.Jobs氏が亡くなったというニュースが流れました。
私は一介のライトユーザーでしかなく
亡くなった本人のことはもちろんマスコミ情報でしか知らないけれど
その強大な影響力と確固たるプロデュース能力には驚かされるばかりでした。
ご冥福をお祈りします。
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多くの方が「私とMac」の記事を書かれているので私もひとつ。
初めて触ったMacはPowerBookDuo230
初めて使い倒したのはMacintosh Centris660AV
それ以来、機種は変われどずっとAPPLE製品を使い続けています。
また初めて動画配信をダウンロードしてみたのはアップルのイベントでした。
数分の動画を20分以上かけてモデムで落とし、やっとこさ再生して
「私も世界と繋がっているんだ!」と感激したものです。
今もあまりマシンの中身だとかメンテナンス系のことはよくわからずにいますが
それができたのは周囲にたくさんのMacユーザーがいたからでしょう。
なにしろMacユーザーは熱いのです。
昔から少数派のせいか、奇妙な互助会的支え合いみたいなものがあり
なにかトラブルがあると知恵袋のようにどこかから助けの手が伸びてきて
徹夜で(楽しそうに)なんやかやと治しておいてくれたり
頼みもしないのにシステムOSをアップデートしてくれていたり
そして見知らぬ人にもMac愛を語る・・・。
先日もiPhoneのカタログを持って食事に行ったところ、
通りすがりの(まったく未知の)人が立ち止まり、「iPhone良いですよ!」って
あれこれとデモンストレーションまでしてくれたのでした。
知らない他人という垣根をも軽々と越えてしまう製品の魅力ってすごいことです。
私の周りにはMacintoshに情熱を注ぐ人は多かった。
写植や版下を全てコンピュータでやる!と社運をかけてン百万投資していたデザイナー
アメリカ土産にAppleⅡを大枚はたいて買ってきちゃった人とか・・
それでいて、かけた投資に見合う成果を出せた人はあまり多くなかった。
「マックねえ・・、いいマシンだけど、だいぶ業績悪いんでしょ?」
このままITマシンの星空に散った幾多のブランドの1つになるのでは・・。
そんな見通しが主流だった時期もあったのでした。
谷底のような時もあれば最高益の時もある・・・人生の栄枯盛衰はどこにでもあり
人の心も日々、浮き沈みに迷わされてしまいます。
面倒なしがらみや雑事にまぎれて時間ばかりがどんどんと過ぎる。
でも喜怒哀楽、魂のサインをみつけたら逃しちゃいけませんね。
青い鳥を見つけられた人の人生は幸福です。
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Jobs氏個人については知識も感慨も多くはありません。
でも膵臓の病にかかってからも仕事は精力的に続き、迫力が増したように感じていました。
自分もいっときだけ膵臓癌を疑われたこともあり、どこか投影してしまうのでしょう。
たぶんほとんど同時期にその見通しの暗い病と対峙し
私は軽微で解放されたけれど、その恐怖だとか痛みとかを少しだけはわかる。
さらに身内にその病を得たものがいて、その経過の苦しさも垣間見ています。
だから、診断からこの日までが早いか長いか。
すこぶる自律的な彼だからこその時間であったことが私には想像できるのです。
世界最高の医療を受けていたはずですがそれでも命には限りがあり、
限りがあるからこそ大事なこともたくさんあることを実感します。
震災で停電の夜には、iOSアプリのおかげで恐怖から心を紛らわすことができました。
うまく寝付けない時に二転三転しないでいられるのもiPhone(iPodTouch)のおかげ。
先進の技術はこれからも人の生活を幾重にも変えていくことでしょうが
さぞや苦しい闘病の中にも、素晴らしい技術を世に出し続けてくれたことに感謝します。
でも寂しいですね。